警察沙汰
警察沙汰って、なんか大層な悪いことをしたというイメージがありますよね。
(おそらく日本史で学んだ律令国家体制を引きずって現代の社会意識の中に潜んでたりしないでしょうか。全然勉強出来てないからのちに考えよう。)
例えば自分が被害者なのに
警察を呼ばないといけない様な悪い事をしたと自分自身が被害にあっている場合ですら、そのように内心で思ってしまう場合があるのではないでしょうか?
もちろん、それだけではないでしょうが。
- 警察を呼ぶ事によって手続き等に時間が奪われる。(時間的な損失)
- 周りから注目を浴びてしまう。何が会ったんだろと野次馬がきてしまうのではないかと(他人の目に晒される羞恥心)
- 仕事中であらば、会社に報告せねばならない。(手続き的な煩わしさと職場の目)
内心の自由について
これらを比較、考慮して自分の意思で判断し行動出来る事を忘れてはいけない。
嫌な事を耐え忍ぶ必要なんて全くないんです。
まとめれば、内心の自由を守れるのは自分しかいないのだと。
自分の心のキャパシティを超えた暴言、暴力がある場合、一度冷静になるのは非常に難しい。
ですから、第3者に間に入ってもらへばいいのだ。
そのために110番があるわけで何も悪い事をしたと思う必要はない。
自分の正当性を主張し、客観的な判断をしてもらえば何も問題はない。
自分が悪ければ反省すればいいのだ。しかし、暴言、暴力はいけない。人権侵害も甚だしい。
会社もある程度は守ってくれるが内勤の者が知らない為に当事者である個人の人権つまり精神的、肉体的苦痛に対して守りきれているとは僕は思はない。
最低限必要な知識として110番通報。これが第1であると思う。
総括
110番通報は大事
暴言、暴力を受忍する義務はない。(基本的人権全般、特に自由権が保証されなければならない。)
具体事例はまた今度で、今考えてもつらい記憶があります。