タクシー運転手として
当たり前の事を書いて非常に恐縮ですが、再確認です。
ほとんどのタクシーの運転手さんは道を知り、信号のタイミング等を見計らい適切な速度で走っていて、僕なんかお客さんへの対応もおそらくいまいちで、道もあまり覚えていないど素人の運転手です。
危ない運転手
限定的な話ですが、
全ての客は俺のモノ、ここから先は全て俺の道と思っている。つまり自己を中心にこの世界が回っているかの如く、かなり自由な運転をする運転手を見かけます。週に数回ぐらいですが…
僕はこのような運転を軽蔑しており、特に実車中の場合、凄く頭にくる事があります。出て言って注意喚起しないとあのような運転手を野晒しにしておけば、いつか僕に対して不都合があるのではと。
ですが、取り急ぎ、僕は運輸規則にのっとり、お客様を迅速かつ正確に目的地へと送る目先の仕事がある為、そんな事はしない。そんな事をする勇気はない。(前の言葉はタテマエです。)
頭に来る理由
例えば、僕が乗せているお客さんが急ブレーキにより頭を打ってケガや最悪、死亡してしまった場合の責任の所在について焦点を当てみましょう。
責任は僕にあるわけです。車間距離不保持でしょうか。
割り込んで来たドライバーにはおそらく罪の意識もないまま、そのまま何事もなく営業し、その後の人生を謳歌するのでしょう。
その運転に罪悪感はないのか?
罪悪感ありの場合
内心のボンヤリした罪悪感はあるもののおそらく「まぁ〜大丈夫でしょう」で行為に及ぶ場合
罪悪感なしの場合
何となく右車線か左車線を走りたい、お客さんを見つけたけど発見するタイミングが遅れて急な車線変更をしてしまった。
つまり、故意ある過失と故意のない過失の問題があります。がいつか検討しよう。
話を戻しますが、
車内事故は法解釈上おそらく、交通事故と同じ扱いを受けるのでしょう。あまり調べていないですが。
という事はですよ、
このようなパターンが考えられる
実車タクシーに空車タクシーがえげつない距離感で割り込んで来た場合。
僕は危ないから急ブレーキを踏む訳です。もし、お客さんがそのブレーキにより前の席の手すり部分に頭をものすごい勢いでぶつけて死亡した場合、どこに責任の所在があるでしょうか。
僕ですよね。
責任があるのだから、
刑事処分
民事処分
人を死亡させた罪悪感、職業を失うと言う経済的損失。
ご遺族への罪悪感等
1人の人生が台無しになる訳です。
頭に来る理由は
つまり、上記のような酷い実害を被る可能性がある。
ここでは述べていないが、お客さんを乗せて運転しているので、運転に集中しないといけないので、慢性的にストレスに晒されている。
この2点により、頭にくるのが大きな要因でしょうか。
反対の立場に立って考える
タクシー会社の看板を背負って、その一員として社会で活動し利益を得る。
自分の幸せや家族、恋人、友達との約束などさまざまな要因の為に働かれてると思います。
タクシーの営業について
フルコミッション(完全出来高制)の会社が多数を占めるのでしょう。ですから、多数の運転手は今日の売り上げ目標は3万円!!とか、今月は60万円売り上げないとやばいぞ。他に週単位の目標を掲げて街を走り周ったり、駅でお客さんを待っているのでしょう。
それぞれの事情
おそらく、借金しているドライバー、家族が病気のドライバー、子供の大学入学資金、結婚資金などなど経済事情は人それぞれです。多く稼がないと自分が追い詰められたり。自分を追い詰めたりするでしょう。
この2点の視点から考えて
思うに、道路と言うのは平等に存在すると言うのが、前提にあるので、個人の自由(経済活動)が優先される訳にはいかないのではないのでしょうか。ですが、そのようなさまざまな事情により、人は生活していると言う背景があるので、より安全に僕自身も職務に励まなければらならないのではないのでしょうか。
民主主義的運転を心がけて
僕もおそらく人に迷惑をかける運転をした事があると思います。おそらくこれからも有るでしょう。
しかし、他人に迷惑をかけてまで営業をしてはいけない。と自分を戒めて、他者にこの心がけを強要することなく、その方がいいと思って貰える運転が出来ればと思うのです。