批評論の正当性と必要性 ランケの功罪
おいおい、カテゴリーが違うやんって思う。
そして、誰だよこの汚い格好のお爺さんはって思うでしょう。(ものすごく失礼ですが僕の第1印象です。)
歴史のカテゴリーを後に作らねば…
ですが、僕の人生、考え方において影響を与えてくれた偉大な先生です。ものすごく恨んだ時期さえあり、今ではマブダチです。(一方的な思いと非常に失礼)
では、高校生の世界史の授業から
出会いは高1の冬です。
午後の世界史の授業です。衝撃が走りました。
ランケが歴史を変えた。確か先生はこう言ったと覚えています。
心の声:
「何を言っているんだと、1192年に鎌倉幕府が出来たとか誰もの事実じゃないか。社会科教師のくせにそんな事いちいち調べないとわからんのか。一周回ってちょっとおかしくなったんじゃないかな?これが教師の悩みの発症の始まりなんじゃね。こんなお猿さんみたいな高校生達相手じゃおかしくなるのも無理ない。でも、意味の分からん事を言うなよ先生。」
世界史の先生(担任):
ですが、1192年に出来た鎌倉幕府は先生は見てないです。もちろん、今生きている人類誰も見ていないわけです。本当に1192年って100パーセント言えるのか?
心の声:
「言えないです。ハイ、スミマセン…」
「そしたら、どうするんだよ、発掘するとか土を調べりゃいいんじゃねぇの」
世界史の先生:
文献に書いてある。
1つの文献ではそれが真実なのかそうでないのか分からないから色々な文献にあたってその文献を批評的にこうじゃないかも知れないと読んで行く。読んで読んで読みまくってこれは限りなく100%に近いと思った時、歴史学のフィールドに立てる。これを実証主義と言う。
今の日本の大学教育の基礎になってるんだ。
心の声
「はぁ〜マジか。なんか凄いなぁ。」
この実証主義が自分の考える姿勢の上でなんらかの影響を及ぼしているかもしれない。
※以下 批評論における実証主義とは関係ないので読まなくて良し。
なんか記憶が蘇ってきたので
ここからは過去をふりかえり、意味のない歴史への憧れと後悔です。
大学への進学
僕は工業高校の電気科に通っていました。中学生の頃に将来の進路なんて自分で考えて生きている人がいるでしょうか。
まぁ〜自転車で通える近くの高校で、手に職をつければいいやって思いで電気科に進学したわけです。
それなのに、先のランケの話、あときっかけは忘れてしまいましたが、「銀河英雄伝説」って言うアニメにハマってしまったのです。(おそらく小説の方が有名)
それに出てくる歴史好きなヤン・ウェンリーと言う提督が居るのですが、なんか優しくてだらしなくて格好いいと思える人物が登場するのです。
歴史を勉強をすれば、こんな人間になれるかも知れないと心の中で思ってしまった時が着火点となり、ランケ大先生が僕の思いを大きく揺さぶったのです。運命みたいに感じてしまったと思います。
そこからかな〜、人文社会学への志しみたいな感情が芽生えたのは。
※warning
リア充爆破しろと心の中にありました。
エレクトリック野郎しかいない大学なんかいってられるかぁ。
本当は女の子の居る学校に入りたい!!
充実したキャンパスライフが僕を待ち受けているんだ。ってのが大学進学を志す18才の本来の感情でしょうが。
まさか、光栄ある孤立を選ぶキャンパスライフが待ち受けているとは16才の僕は思いもしなかった。
取り乱しました
たいした勉強は大学でしてないです。
その初心、つまり、人文社会学の凄さみたいなのを忘れず、僕は法を学ばなければならない。
興味がある人が有れば、以下タイトルで続きを書きます。
キモヲタの歴史への異常な愛情 または私は如何にして奨学金を払うのを心配するのをやめて歴史を愛するようになったか。そして何故タクシーの運転手なのか